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雀庵のブログ

「雀庵の作文」と称して、幾つかの作文を掲載していきます。感じたこと・考えたこと・提言と様々な内容となります。
5000文字から40000文字前後の作文となり、読むのに面倒に感じる方もいらっしゃるとは思いますが、お時間のある時に一読願えれば幸甚です。

雀庵(じゃくあん)の意味は雀のお宿・お家です。ですが童話でも童謡でもありません。
司馬遷が編纂したとされる、前漢時代の歴史書「史記」の陳渉世家(巻48第18)の一節「燕雀安知鴻鵠之志哉」(えんじゃく いずくんぞ こうこくのこころざしをしらんや)から「雀」の一字を抜き取って使った言葉です。
燕や雀は小さな鳥で、地表の近くを飛ぶ鳥です。
鴻鵠は大きな鳥で、空高く飛ぶ鳥です。
この漢詩は、鴻鵠(コウノトリやハクチョウ)は空高くから地上を見下ろし大局を知り、大きな志を持つが、燕や雀は地表の近くを忙しく飛び、餌を探すのに夢中で世の中の動きや世界の動静を知る由も無いと詠います。
よって燕や雀で終わっては駄目だ、鴻鵠となれ、という励ましの意味もありつつ、大物と違って小物は駄目だと嫌みとも取れる意味の言葉です。

若く希望や夢に溢れる者は、鴻鵠の志を持って世界に羽ばたいて欲しいものです。
しかし齢を重ねると、自分は高所から世の中を俯瞰し、難しいことを考えている声高に言う人に、胡散臭い者が多いと知ることになります。
そもそも寄る年波で自らは空高く飛ぶ力は持ち合わせていませんので、地表で餌を探して啄むしか出来ません。

食べていく為に、子を守り育てていく為に、広く世界を俯瞰することなく、忙しく地表を飛び回り続けて朽ちていくことは、寂しく苦しいことかもしれません。それでもそれが人生だと思います。
世の中に何の足跡も残せず、何も影響する大きなことは出来ない普通の人であっても、その生は決して無意味ではなく尊いものであると信じたいものです。

そんな燕や雀の一人として作文を書いてみました。

(雀庵)

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